慶應内部生の懺悔 第1回 慶應の内部事情

友人がブログをやっていたことをきっかけに自分の考えを世間の方に知っていただきたいと考え、初めてだが書いてみる。丁寧語にするか迷ったがやめた。

まずは自己紹介だが、私は慶應義塾大学に通う大学生だ。個人情報はばれたくないため、小学校、中学校、あるいは高校から慶應に通っている、とする。そんな慶應に染まった生活を経て私が考えたことを共有したい。就職活動を通し私の将来に向けての考えは、大雑把ではあるがまとまったので、慶應に興味を持つ方は勿論、これから就活、あるいは人生の進路を決めている人に特に見てもらいたいと思う。

 

最初に何を書こうか迷うがやはり内部生として慶應内部の現状を知っていただくとする。誰かに見られるかもわからないブログを書くような人間だが、それなりに友人が多いとは自負しているため、内部事情もそれ相応に知っている。

 

まず話したいのは小学校から慶應の所謂ボンボンの幼稚舎生である。

今まで慶應生を見てきた中でも幼稚舎から慶應の女子に関しては、お嬢様かつおしとやかで一般的にかわいいとされており、ここまで結婚相手としてふさわしいであろう洗練された人間はなかなかいないだろう。

それはさておき彼らはとにかく帰属意識が強い。慶應を愛する精神はこのためかさすがはK・E・I・Oの4クラスに分かれ、教室の黒板の上に福沢諭吉の写真を飾る幼稚舎である。帰属意識の強さはやはり彼らの視野の狭さともとれる。親の金で一生暮らせるような人間ばかりのためか、あまりハングリー精神は感じられないし、勉強の大切さに彼らは気づくことがない。筆者もその人間の一人だったのだが、、、(幼稚舎だるとは言っていない)

この根底には親の生き方の違いがあるだろう。親も中学や高校、大学の受験を経験していないからこそ、そのまま伸び伸びと大学まで行かせる。本当に頭の悪い人間は何人か消え去っていったことを記憶している。もちろん中学でも数人、高校でも数人。所謂勉強をすること自体に慣れていない人間なので、定期テストでも効率の悪さを果敢に発揮している。

先日、高校あるいは中学の同窓会があったのだが、そこで幼稚舎上がりの子が言った。「将来私の子供も幼稚舎に入れたい」と

何せ自分が受験を経験していないので幼稚舎に入れてやりたい思いが強いのだろう。多くの元幼稚舎生がその時の思い出をすごく楽しかったと言っていることも事実である。

一方で、やはり幼稚舎の生徒のお金持ち度はレベルが違う人が多いと感じる。基本的によく聞くのは商社、自営業、電通、まれに俳優・落語家等である。基本的には彼らは勉強を知らないと前述したがこのようなお金の羽振りをきかせ、高校・大学で留学に生かせる素晴らしい教育方針を持った親もいる。または幼少期の海外経験があることも往々にしてある。だから、勉強を知らない彼らだがそういう子はグローバル企業やグローバルを謳う企業(グローバルマーケッツや商社、東京海上など)への就職となる

 

続いては中学から慶應の人間である。学力はピンキリという印象である。というのも女子は中学校トップレベルで偏差値が高い一方で、男子はそこそこだからである。世間ではまだ男子校が多い中で、中学時代から女子がいることの楽しさを知っている代償に勉学は衰えている節もあるのではないかと私は考える。ただ、彼らは幼稚舎生(お金持ち)との繋がりによって、彼らの豪邸に行けたりするので、人脈的な観点でいえばなかなかやりようによってはリターンがあるのでは。

 

さて高校から慶應の人間だが、やはり圧倒的に頭が切れる人間が多い印象である。いかにも私の友人はそういう人が多く、大学でもプログラミングや関連するインターンなど将来を見据えている人が多い気がする。

慶應義塾高等学校でよく言われるのが音楽クラス・美術クラスの分断に関してである。上記2つを選択し、全18クラスを2分しているのだが、顕著に所謂陰キャは音楽クラス、陽キャは美術クラスで分かれているのだ。私が考えるに、美術は絵を描くだけ(そうではないもののほとんどそう)だが、音楽はやはり覚える作業が必要であるという点で楽が出来ないため、所謂バカよりで楽をしたいかつ他に迎合しがちな陽キャは美術を選択し、真面目に勉強する陰キャは音楽を選択するのである。ちなみに筆者は美術選択であったが、そこに後悔は特にない。当時はそんなことを知る由もなく選択したが、今となっては顕著にその差が表れていることがわかり、内部生の間では音楽クラスの人間を馬鹿にする風潮が往々にしてある。

 

続いて大学から入った人間である。内部という話からはずれるが比較対象として聞いていただきたい。私が内部だからというわけではないが、肌感では陰キャ(勉強はできるのかもしれないがコミュニケーションが下手)な人が多いように感じる。もちろん、すごく勉強してきたほやほやの人間なのでそれは仕方ないのかもしれないが。ハングリー精神はない人間が多い。やはりそのような精神を持つ人たちはさらに死に物狂いで勉強し、東大やそこらに入るのだろう。いかにもそこを目指してはいたが失敗し、慶應に来た人間も何人も見ているが、受験の時の競争心はどこへやら、安定した味気のない人生を送り、いかにもこういった人間が生気を失ったサラリーマンになってしまうのだろうという思いで彼らを所謂JTC(ジャパニーズトラディショナルカンパニー)に送るのだった。

 

今回は懺悔とはいかにもかけ離れた話になっていたかもしれない。ただ、私もその一部であり帰属意識をなるべく持たないようにはしていたものの、就活という時間で外部の世界、新たな人間との出会いを経て、今までいた環境に疑いを持ち始めたこのきっかけである内部事情に対して説明した次第である。長くなりすぎないように第一回はこれで終わるとする。